【107】 桔梗は 謀叛の匂いがする?


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鵲声庵には 今、桔梗が咲いている。
スッキリした星型の花は、凛とした美しさがあり、或る有名女学校の校訓のように、「 清く、正しく、美しく 」 貞節な若い女性 の面影を偲ばせる。
以前、桔梗は謀叛の匂いがすると言った人がいるが、私も、この花を見ていると いつも 明智光秀を連想する。
西国への出陣途上、「 敵は本能寺にあり!」 と叫んで、織田信長を討った あの戦国武将だ。
明智光秀の家紋が、桔梗であることは良く知られている。
もともと、美濃国守護土岐氏の家紋は、水色に染めた 「 土岐桔梗 」 と呼ばれており、土岐氏の流れである光秀も、土岐桔梗紋を用いていたのである。

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          ※ 土岐桔梗紋

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光秀は、大恩ある主人を攻め殺したということで、すこぶる評判が悪い。
いつの時代でも 謀叛は悪徳とされるが、インテリ然としたイメージを除けば、武将にしては 清く 正しく、私の印象は悪くない。
きちっとして品が良く 清潔な桔梗のイメージも ダブってしまうのかもしれない。
たまたま、我が家の家紋は、信長の紋所である織田紋と同 じ 「 五瓜に唐花 」 即ち 「 五木瓜(いつもっこう) 」 なのだが、この際 こんなの関係ない。

急拠本能寺に攻め入った光秀の動機と心理状態については、歴史家や歴史小説家が色々と述べており、本人から聞いた訳でもないのに断定的に書いていたりして、面白い。
羽柴秀吉の 「 中国大返 し 」 で目算が狂ったにしても、ずば抜けて頭が良く数々の実績もある戦略家光秀にしては 結果的に見て粗雑な行動であり、魔が差したとしか言いようがない。

ところで、江戸時代初期の 「 南光坊天海 」 という人物をご存じだろう。
徳川家康とは特別な関係にあり、大阪の陣では 家康の参謀を務めたとも言われ、家康、秀忠、家光の三代の将軍が大いに帰依し、黒衣の宰相と呼ばれている高僧である。
天海は、天台宗総本山として 東叡山寛永寺の創建にも携わって その開山となり、 108歳の長寿を全うしたとされる。
実は、この 「 天海僧正 」 こそは 明智光秀であったという説があるのだ。

光秀は、秀吉と対決した山崎の合戦で敗れ、坂本城に落ち延びる途中、土民の竹槍に脇腹を刺され、「 最早 是まで・・・」 と、自刃したと伝えられている。
ところが、実は、土中から掘り出し京都で梟首した首級は 偽者で、死んだ家臣の髷を光秀風に結い直し、面皮を剥いで埋めたものだったというのだ。
土民に襲われて自刃したという話などには、様々な多くの謎があるため、これらが 光秀生存説につながるという。
この説に立ち、山崎の合戦後の従来の光秀像を覆した 早乙女貢の歴史小説 「 明智光秀 」 も 面白い。

ところで、衣川で襲撃され 自決した筈の源判官義経は、実は生き延びて北海道から大陸に渡り、蒙古の ジンギスカンになったという 「 義経・成吉思汗説 」 がある。
このほか、楠正成生存説や西郷隆盛生存説もあり、この種の話は、実 しやかに言い伝えられ広がっているが、日本人の判官贔屓から生まれたのだろう。

しかし、光秀天海説の場合、天海の前半生が定かでないこと、この説が天海の没後間もなく幕府周辺で囁かれ広がったものだということ、三代将軍家光の乳母で、後に春日局として江戸城大奥で絶大な権勢を振るった女性は、光秀の腹心だった重臣 斎藤利三の娘であり、これは天海の推挽だったことなどなどが、この説の信憑性を高めているようだ。
為り変った後の人物がはっきりしているだけに、いかにも本当らしく興味深い。
さて、天海の紋所は、何だったのだろう? まさか、桔梗では・・・。

 そこで一句
  かかあ天下 明智の謀叛に 共感し (快団爺)

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 [参考] 
【46】 五木瓜(いつもこう) 家紋 織田瓜と大村瓜
   http://kaidanjii.at.webry.info/200703/article_2.html


この記事へのコメント

仮分数
2008年08月08日 19:18
明智光秀も桔梗も好きです。
爺様の写真 実に見事で心洗うようです。
今日は 明日命日を迎える恩師の家の仏壇にお参りに行った。御留守でした。小屋に庭の桔梗の花がバケツに置いてあったので、その横に持ってきた菊の花を入れた。その横に故人が好きな焼酎を置いて帰った。
メモには「恩師を突こうと 小雀が来ましたが・・・」。夕方奥様から電話ありました。
「だんだんと主人の事忘れる方多いのですが、家族だんだんと思いは強くなります。ありがとう」
大好きな 桔梗の花を明日 お供えするとの事でした。

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