【52】 祖庭 「長岡安平」 近代公園造りの先駆者

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平成7年の晩秋、大村特産みかんのトップセールスのため新潟市を訪れた折、同市の職員から白山公園に案内して頂いた。
「 この公園は、明治5年新潟県令(知事)に任ぜられた楠本正隆が長岡安平に命じて造らせたもので、我が国で第一号となった都市公園です。当時は新潟遊園と名付けられましたが、オランダ風回遊式庭園とも言われていました 」
市職員の懇ろな説明を受けながら、その西洋風散策路を通って奥まった楠本正隆の銅像のところまで歩いた。

「 ところで、ご存知でしょうが、楠本正隆と同じく長岡安平も旧大村藩士だったそうですね 」
市職員に言われて、私ははっと思い当たった。
『 ああ、そうか…、あの時聞いた長岡安平というのはこの人物だったんだ 』

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          ※ 白山公園 ひょうたん池 (Niigata-U.comより転載)

実は、その年の7月大村警察署の落成式の折に、文化人としも定評のある石附県警本部長が私に話されたことがあった。
「 地域の安全は、警察と一緒になって地域住民自らが守るという意識が大切です。そのためにも地域住民に親しまれる警察でありたいと思っています。そこで、大村警察署を移転改築する機会に、市民が警察に親しみを持ってもらいたいとの願いも込めて、庁舎は地元高校の校舎を模りました。前庭はその一部を、極めて小規模ながら大村出身の造園家である長岡安平が手掛けた築庭を模して造りたいと思います 」

私は長岡安平なる人物の名を初めて耳にしたので、「 何者ですか 」 と訊ねると、日本各地の公園を設計した人物だとのこと。
「 地元を大事にして頂いて、有難いですね 」 とお礼を言って、後で市の幹部に 「 長岡安平という人物を知っているか?」 と訊ねたが、知る者はいなかった。
秘書課長に、調査して出来れば資料が欲しいと指示しそのままになっていた。
それが、意外なところで長岡安平の名を再び耳にしたのだった。

帰任して、東京農大OBで地元の造園会社社長為永氏に聞いてみたところ、長岡安平というのは大した人物で、東京農大にはその事蹟について数多くの資料もあるという。
私は自分の不明を恥じ、専門外のことについても該博な知識を有する石附本部長に改めて尊敬の念を禁じ得なかった。                         
              
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            ※ 大村警察署の前庭と安平記念碑

楠本正隆は、大村市民なら誰でも知っている郷土の偉人である。
旧大村藩士で、新潟の後に東京府知事にもなった人だが、新潟では日本で初めての県議会議事堂を造るなど当時としては開明的な業績を残し、東京でも近代的な事業を数多く手掛けた維新の功労者である。

長岡安平は、楠本正隆と同じ旧大村藩士で、明治3年、政府の要人となった楠本が上京した折に同行している。
明治5年、新潟県令となった楠本は、長岡もつれて行き白山公園を造らせたのである。
明治の代になったとはいえ、未だ江戸時代とほとんど変わっていない時期に造られたとは思えないほど近代的な都市公園であった。

水戸の偕楽園などを別にすれば、当時までの大庭園は、大名や分限者が自分たちの観賞のために造ったものがほとんどであった。
楠本は、日本の近代化の一環として、市民の憩いのための都市公園の必要性を感じ、先ず新潟でそれを実現したのだ。
西の果ての小藩の一庭師で、しかも外遊の経験もなく日本の庭園しか知らない長岡が、楠本の意を体して、市民が散策し、憩い、楽しむための西洋風都市公園を造り、それが平成の今でも立派に通用する近代的なものであることは驚きである。

その後東京府知事となった楠本のもとで、長岡は府の土木掛として数多くの公園整備に携わっている。
長岡は更に、それらの実績を高く評価され、明治の初めから大正にかけて日本各地からの要請を受け、全国四十数か所の近代的な都市公園を設計している。
長岡の公園造りの要諦は、広島の厳島公園に代表されるように自然を大事にし自然の形状を生かすことであったという。
いまに残るものは、東京の芝公園、秋田の千秋公園など有名なものが数多くあるが、今なお市民に愛され続けているのである。

ただ、九州では彼が手がけた公園が殆どないというのが不思議である。
地元大村にも 残念ながら彼が造った公園はないが、ただ、「 大村城址と参道などに 桜を植えたらどうか 」 と 桜の苗木を贈ったともいわれており、大村公園が桜の名所となった嚆矢であろう。

長岡は、近代都市公園の祖と称されており、自らも 「祖庭」 と号しているが、当にそれに相応しい偉大な先駆者であった。
ところが、これほどの功績を残しながら、楠本正隆の陰に隠れ、地元大村では専門の大学を出た造園技術者など一部の人以外には殆ど知られていなかったのだ。

私は為永社長の協力を得て長岡安平の事績を調べるうち、彼を公に顕彰せざるはなしと思うに至り、「 もう一人の明治の先駆者長岡安平 」 として顕彰することとした。
先ずは市の広報誌で彼の事績を紹介し、市広報パンフレットの中に掲げられている 「 明治時代に活躍した故郷が生んだ先覚者 」 長岡半太郎、長与専斉、楠本正隆などと並んで長岡安平を加え、大村でシンポジウムを開催し、東京農業大学の協力を得て記念誌を発行し、大村公園に顕彰碑を建立したのである。

※ 【51】 大村公園の花吹雪と花の絨毯
    http://kaidanjii.at.webry.info/200704/article_1.html
※ 【89】 さくら名所100選の地 大村の桜
    http://kaidanjii.at.webry.info/200804/article_2.html

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              ※ 大村公園の長岡安平顕彰碑             
                
※ 写真はクリックすると2 回拡大します
※ トップの写真は顕彰碑のある大村公園
※ 顕彰碑銘 は 快団爺 揮毫






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この記事へのコメント

公園は素晴らしい 物語 です
2007年04月24日 11:51
快団爺様の お話は要領を得て
心清らかに 安らぎを与えます
長岡氏の功績を顕彰する市民は
実に 素晴らしい
島の太陽
2007年04月26日 23:52
 白山公園の写真にうっとり見惚れながら、”芝公園にある安平の碑は、ナニ栢園跡だったかな・・・”と気になってネットで調べているうちに、目的外の記事に目がとまった。
 「ささき ふさ 明治30-昭和24 小説家 筆名
大橋房 本名佐々木房 旧姓長岡 東京芝公園13号地生れ 父長岡安平 母とら 神奈川県立第一高女卒 青山学院英文科卒 芥川龍之介の媒酌で佐々木茂索と結婚*現代日本文学全集85 筑摩書房 昭和32発行」
  芝公園内にあった長岡邸(「長栢園」と称した)で生まれ、龍之介の媒酌で茂索と結婚し、小説家になった房の生地には、今も「長栢園跡」の石碑(父親の顕彰碑だが)がある。豪勢なもんだなあ・・・と感嘆久しくした次第。
島の太陽
2007年04月27日 13:47
<検索の続き>
 とらの子として生まれた房が嫁いだ「佐々木茂索」の名前の読み方は、モサクだよな・・・と思って念のため検索したら、シゲサクとモサクが出てきた。多分、元は
シゲサクだが皆がモサクと言うので面倒くさいから黙認していたらモサクが優勢になった、ということだろう。
 戦後、茂索は菊池寛の跡を継いで文芸春秋社の社長になっているが、若い頃は新感覚派の作家だったから、房とはそのころ出会ったのかもしれない。房の父は公園近代化で名をなしていたし、東京府知事や衆議院議長等を務めた楠本正隆男爵の腹心でもあったから、房はご令嬢だったわけで、ビンボー作家と結婚するについては波乱もあったのではないか。で、芥川龍之介が一肌脱ぐことになった・・・などと想像を逞しくするのも楽しい。

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