【102】 自転車 三角乗り、崖下へ転落!

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あっと言う間もなかった。
「 うわー!」
悲鳴を上げながら、自転車もろとも いや自転車より先に、真っ逆さまに、崖下に転落し、上半身を強かに打ちつけた。
「 ぐうっ 」
目の前が ボーっとなり、 チカチカと星が駆け巡り、しばらく息が出来ず、背中の上に自転車を乗せたまま 動けなかった。
「 ボクは、死ぬのかな・・・ 」
前車輪が空回りしているのを見ながら、一瞬、そんな思いが頭をよぎった。
2,3メートル程の高さだったから、落ちた衝撃も然ることながら、後から落ちてきた自転車が 左の背中を強襲したのも応えた。

村松村(後に琴海町、現長崎市)村立村松小学校 6年生当時、自転車の 「 三角乗り 」 が流行っていた。
夏休みの夕方、田舎にあった自宅付近の道路で、近所のガキ大将が内緒で持ち出した家の自転車で遊んでいた。
たまたま、その友達は家に帰っており、私が一人で乗り回していた時のことである。

小学生には、サドルに座ったら ペダルに足が届かず、サドルの前に立って漕ごうとしても、片足をサドルに乗せるともう片方は天井を向いて、犬がオシッコしてるような格好になる。
無理すると、股の大切な物が フレームに当たり 潰れそうで、どうも上手く漕げない。
当時の自転車は、フレームが逆三角形になっていたので、上部の横フレームが邪魔なのである。
誰が考えたのか、お宝保護で子孫繁栄のため、この難題を解決したのが 「 三角乗り 」である。

左足で左側のペダルに乗り、右足を逆三角形のフレームの間に差し入れて右側のペダルを踏むのだ。
漕ぎ手は 体を くの字に曲げ、自転車を右に傾けて バランスを取るのだから、あまり格好は良くない。
この漕法は、高度な技術を要し 初心者には 難しかったが、私は、かなり上手く操り 曲乗りもやって、三角乗りの天才と言われていた。

ああ、そうだ。 その私が何故転落したのか…。

その道路は、長崎県は西彼杵半島の内海を通る幹線道路で、今は国道206号線となり、半島のずっと北部には西海橋が架かっている。
終戦直後、昭和23年当時は、ドンゴロスと呼んでいた進駐軍の10輪 トラックが、地響きを立てながら、時々通っていた。
そのほかは、木炭バス、オート三輪車、荷馬車などが、日に数回通るほどの道路である。

雨が降ると、路面はぬかるみ、ドンゴロスの轍が、道路上に深い溝となって延々と続くのである。
その轍は、大きくは二筋だが、一つの轍の中央には二本重ね合わせた タイヤのため 鋭い山形が出来ていた。
赤土の深い溝と高い山形は、旱天で乾き カチンカチンに硬くなっていたのが、たまたま その日に、ほんの少し夕立が降り、滑りやすくなっていたのである。
細い溝を 三角乗りで 調子良く スイスイと通ることができたから、そのうち景気良く スピードを出していたらしい。
カーブにかかり、溝の縁に乗り上げたと思ったとたん、ふわっと体が宙に飛んでいた。

程なく 息を取り戻した後、別に慌てる必要もないのだが、慌てて崖を這い上がり、慌てて周りを見回した。
誰もいなかったので、なんとなくホッとしたような、寂しいような気がしたが、足を引きずりながら家に帰った。
心配した母が あちこち調べたが、右手首、右膝、左胸の背に鈍痛がするほか、擦り傷程度で大した怪我もなかった。
崖の途中に草が生い茂り、下が柔らかい土だったのが幸いし、軽傷で済んだのである。

無謀と言えば無謀、三角乗りの天才児も、落ちるべくして落ちたのである。
道脇には、今時のような ガードレールはなかったが、それが良かったのか悪かったのか…。
自転車は、崖下に残したままだったのを、その日のうちに 父が引き上げて返しに行った。
私の体の上に落ちたからだろう、車体に傷は無かったという。

 そこで三句
  天才は 道を選ばず 崖に落ち (快団爺)
  天才も 崖に落ちたら 地に墜ちて (快団爺)
  三角乗り 孫に乗って見せ 救急車 (快団爺)


さて、一週間程経って 大方傷も癒えた頃、食事時に 「 箸使いは もっと行儀良くしなさい。」 と母から注意を受けた。
ものを食べるとき、手首がうまく回らず、無意識に 手首を耳の所まで持ち上げて 横を向き、口に入れていたのだ。
注意されても 右手首がうまく回らないので、たまたま 家に来ていた マッサージ師に診てもらったところ、「 大したことはありません。心臓に向かってマッサージすれば、すぐ良くなります 」 との 有難い診断であった。

ところが、1か月経っても治らないので、母に連れられ 長崎に行き、万屋町の整形外科で診てもらった。
「 骨折したまま繋がっていますね。自分でしっかり 訓練したら良くなります。この部分は二度と折れませんから、心配いりません 」
名医の言う通り 今で言う リハビリをやったら 2週間程で治り、右手首が少し膨らんではいるが、その後全く支障はない。
ただ、高校で体操部だったが、鉄棒の倒立で どうしても上手く右肩が入らなかったり、野球の投球が下手だったのは、今にして思えば、肩に 事故の後遺症があったのかも知れない。
後で分かったことだが、あのマッサージ師さんは、兵隊帰りで、田舎廻りの偽者だったらしい。

それにしても、落ちる途中の 何とも表現できない厭ぁな感覚は、60年経った今でも忘れない。

 その時 詠んだ俳句(?)
  重たいよ 自転車クンが ボクに乗り (國ちゃん)
 6年生の時 詠んだ俳句
  春雨や どこからとなく 馬車の音 (國ちゃん)


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             ※ 木炭バス

※ 写真は いずれも Wikipedia より転載

※ 少年時代の遊び
【26】 トンビの巣を襲え!
http://kaidanjii.at.webry.info/200611/article_5.html
【27】 野生の遊び
http://kaidanjii.at.webry.info/200611/article_6.html
【28】 「 少年野生の森 」
http://kaidanjii.at.webry.info/200611/article_7.html
【37】 「 熊ん蜂 」に刺された!
http://kaidanjii.at.webry.info/200701/article_2.html
【50】 メジロを捕った!
http://kaidanjii.at.webry.info/200703/article_6.html
【66】 「 唐茄子、カボチャ の アンポンタン!」
http://kaidanjii.at.webry.info/200708/article_1.html
【96】 鵜のとんじょ
http://kaidanjii.at.webry.info/200805/article_5.html





この記事へのコメント

仮分数
2008年07月05日 08:47
崎戸町幼稚園の快団爺様の少年時代の冒険が始まり
自転車の三角乗り 流行の先端です。
懐かしい。
そろそろ褌の水泳 それとも三角巾の水泳では
ともかく 純粋に成長された爺様の心らかさに
感動します。
砂かけばばぁ
2008年08月11日 05:50
初めまして。<(_ _*)>
「村松小学校」で検索していましたところ、こちらにたどり着きました。

読ませていただきながら、びっくり。
世代は違いますが、偶然にも私も幼稚園は「崎戸」で、小学校の2年生から4年生までは「村松小」でした。

崎戸の幼稚園は、お寺(今も現存)ですよね。
私は、そのお寺の幼稚園では無かったのですが、兄たちが通っていました。
でも、その幼稚園の藤棚の下で遊んだ記憶があります。

崎戸では「土井の浦」→「美崎」に住み、昭和小学校へ。
琴海村では「西海(にしうみ)」に住んでいました。

引っ越しと転校ばかりで、その当時の友達の記憶も交流もほとんど有りませんが、どちらもすごく良いところでした。

また寄らせていただきますね。お邪魔しました。<(_ _*)>

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