【95】 野母半島 ( 長崎半島 )


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        [ 写真は、岳路より 伊王島を望む ] 
平成の大合併までは、野母半島(長崎半島)は西彼杵郡であり、昭和30年の大合併前は、深堀、蚊焼、高浜、野母、脇岬、樺島、川原、為石の8村と茂木町、そして 伊王島、高島、香焼の 3島 3村があった。
面白いことに、歴史的に、かつて野母半島は一つの藩の領土ではなく、天領と鍋島藩などに分かれていた。しかも、江戸幕府の方針で、各村々は交互に天領と藩の領土として、飛び飛びに支配していた。だから、領主や村の産業の違いなどもあり、夫々の村ごとに異なった独特の方言が生まれ、隣同士の言葉が極端に違うのである。 

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         野母 権現山より 左から高浜、野母港、脇岬

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         黒浜より 高島

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         高浜海水浴場

特徴的な例をあげれば、川原は、平家の落人部落があったので、自分のことを「身(み)」と言うなど言葉も優しく、総じて穏やかだったが、隣村の為石は、多くの人が小さな船で男女群島沖まで出て、サンゴ漁に従事していた歴史もあり、どちらかと言えば気性は荒く言葉も荒いが、気風の良い土地柄であった。
ちなみに、大正時代、サンゴ漁に出た船が春一番の嵐で遭難 し、多数の人々が犠牲になり 帰って来なかったという、悲しい出来事もあったらしい。
このように、隣村なのに村民性も言葉も全く違うのだ。

ところが、野母と川原は 間に脇岬があり、脇岬と為石は 間に川原があって、夫々隣村を一つ飛び越えれば、村民性も言葉も似たところがあり、親戚も多かったようだ。 【※】

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         以下宿の夫婦岩、間に軍艦島を遠望

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         野母 権現山より 野母の町と港

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         野母崎 大立神岩(日本本土最西南端)

野母半島の自然景観は、静かに水を湛える伝説の池、穏やかで優美な山、湾曲した白い砂浜、艶やかな黒石の浜、そして荒々しく切立つ黒い岩礁 とそれに続く岩磯など、夫々、地域が誇る美しさがあった。
そして、夫々の村には、その美しく豊かな自然と、人々の長年に亘る ナリワイ や ヨスギ の中で培われ、守り伝えられた独特の風習や伝統があった。

亡 父・母が教師で、かつて西彼杵郡内を数年ごとに転勤 したので、私も小・中学時代は、一緒に転校した。
野母には母の実家があり、また 脇岬と香焼には親戚がいた。
中学2年の時には、川原、為石、蚊焼の各村立中学校が統合された三か村組合立 岳南中学校 (現 三和中学校)で学んだ。
夫々の村の子供らと一緒に、終日 野外で過ごすことが多かった私の少年時代、村々の自然は 野生の遊びの宝庫であり、楽園であり、また道場でもあった。

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         野母より 脇岬(左) と樺島

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         脇岬海水浴場

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         脇岬港と町並、遠景は野母 小立神岩

母は、若い頃、脇岬尋常高等小学校に奉職 して、隣村の野母から歩いて通っていたという。
大正の終わりから昭和の初め頃は、今のように車が通るような立派な道は無く、荷を運ぶ時は舟を利用していた。

海岸のほかは迂回する道もなく、けものが通るような海岸沿いのがけ道や、磯伝いの小道には、いくつかの難所があったらしい。
台風や嵐の酷い時は泊りだが、台風の余波や土用波が打ち寄せる時でも、大波が来ると岩の陰に身を寄せ、波が引 いた時に全速で走りぬけたりして、命がけで通ったというから、若い乙女ならずとも怖かったろうと思う。

現在も、野母・脇岬間の国道は、迂回すべき所 もなく、母が通った海岸沿いを走っているが、台風のたびに どこか決壊していたので、確り した落石対策防護壁や防波パラペットなどを設置 して かなり改良されている。

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       野母 権現山より 野母・脇岬海岸道路(左)と脇岬浜

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         脇岬港(右) と樺島大橋(左)

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         脇岬港 物揚げ場の ペーロン舟

10数年前、老母を自動車に乗せ野母を訪れた際、この海岸道路に差し掛かった時、母は、今昔の感を覚えたのか、しば し無言のあと 前述の話をしてくれたのだ。

さて、一昨日、天気も好かったので、デジカメを助手席に座らせ、野母半島(長崎半島)一周ドライブに出かけた。

野母半島の海岸は、至る所膨大な数の テトラ・ポッドが累々と連なり、港は巨大な防波堤が何本も横たわり、広々と したきれいな浜の上部分には長大なコンクリートの階段が張られるなど、特に、ここ10数年の間に、嘗ての自然豊かな美しい海岸線がすっかり様変わりしていた。

早くから生活道路として整備されてきた野母・脇岬間の道路などは已むを得ないとして、美しい大自然に抱かれて育った私には、延々と コンクリ-トに固められ 変わり果てた海岸線を眺めながら、何とも悲 しく、カメラ片手に 寥々たる思いを禁じえなかった。
そしてまた、地元のおやじさんから、昭和と平成の大合併によって、夫々の村々で育まれてきた風習、伝統や方言も、だんだんと失われていると聞き、寂しい思いを抱きながら帰路についた。

 そこで俳句を一句
  磯の香や 母の通いし 道烟る (鵲声)


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       川原 大瀬鼻、遠景は藤田尾 二ッ岳崎 (海星グランドより)

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         川原 宮崎の浜

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         川原大池
 
【※】 こういう村同志だから、昭和の大合併は難航したであろうと思われる。
例えば、川原村、為石村、蚊焼村は先に中学校が統合し、その名も“岳南”(八郎岳の南の謂)と付けていたのに、その後昭和30年の3ヶ村合併の際は、あえて“三和町”という名をつけたと言うのも頷ける。

その折は、高浜、野母、脇岬、樺島の四ヶ村も合併して野母崎町となり、深堀村と茂木町は長崎市に併合(茂木町は7年後)された。

その後平成の大合併で、三和町、野母崎町、香焼町、伊王島町、高島町は全て長崎市と合併したので、現在、野母半島は全て長崎市の区域で、名実ともに長崎半島となった。

※  美しい日本の浜が無くなる
  http://kaidanjii.at.webry.info/200611/article_8.html

※  鵜のとんじょ  
  http://kaidanjii.at.webry.info/200805/article_5.html

※  トンビの巣を襲え!  
  http://kaidanjii.at.webry.info/200611/article_5.html


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         高浜より 端島(軍艦島)

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         野母より 樺島大橋

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          黒浜から 高島を望む


この記事へのコメント

仮分数
2008年05月23日 09:41
こよなく故郷を愛し
限りなく 少年時代の感動を誇らしげに語る
爺様に敬意を表します
脇岬出身の看護師さん
嫁いで 四国高知に行かれたけれど
脇岬海岸で拾ったと言う 青銅色の岩石
思い出として 我が家に残っている
りん
2008年05月25日 11:10
子供の頃、川原でよく泳ぎました。
丸い石のころころした、あまりこぎれいな海水浴場ではなかったような覚えがあります。
いまも泳げるのかな?
さぶ
2008年06月14日 22:30
野母半島の景色は、カメラの良さと爺様の腕が相俟って、言葉に言い尽くせないほど素晴らしい。
私も、デジカメを車の助手席に、是非一周したいものです。
ぎん
2008年07月14日 10:11
川原の浜は、幼児向きではありませんが、私も子供のころ、家族ずれでよく泳ぎに行きました。
中、高生になってからも友人と行ったものです。水も澄んでいて、石ころの綺麗な浜で、景色も抜群です。
りんさんの、「こぎれいな海水浴場ではなかった・・・」との思い出は、たまたま、台風の後などで、ゴミがいっぱいだったのでしょうね。
海水浴場の管理者も、せっかくの立派な浜だから、ゴミを何とか取ってほしいです。
先日、久しぶりに行ってきました。
浜の様子が変わっており、沖の防波堤も気になりました。

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