【46】 五木瓜(いつもこう)家紋 織田瓜と大村瓜

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大村純忠は、長崎港を開いた戦国時代のキリシタン大名として夙に有名である。
千年の歴史がある大村家の家紋は 「 五瓜に剣唐花 」 で、「 大村瓜 」 とも言われている。
地元の人は、大村家の紋を 「 いつもっこ 」(五木瓜) と言っており、地域おこしの和太鼓クラブも、全国に名を馳せた時代の大村の心意気を太鼓の音に込めて伝えたいと 「 いつもっこ太鼓 」 と名付けて活躍している。

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「 いつもっこう 」( 五木瓜 ) の紋所は、 五瓜に唐花の 「 織田瓜 」 すなわち織田信長の紋が良く知られているが、大村瓜の紋は、中の唐花に五本の剣が挟まっているのが特徴だ。
ちなみに、地元大村の昊天宮と富松神社の社紋も大村瓜で 「 五瓜に剣唐花 」 である。

家紋の「木瓜( もこう )」 は、胡瓜の切り口を図案化したものとか、ボケ(木瓜)の五弁の花を模ったものだとか言われているが、いずれも俗説で誤りだという。

ところで、木瓜の文様は、唐時代に用いられたのがわが国に伝えられたと言われている。
神社の御簾の上部の外側に幕のように張っている布帛を 「 帽額 」( もこう ) と言い、その文様には鳥の巣を上から見た形が多く用いられており、この文様が 「 窠文 」( かもん ) である。
本来、木瓜紋の文様は、帽額の窠文から来ているという。
この帽額を木瓜とも書くことから、胡瓜やボケ由来の俗説が生まれたらしい。

神社の御簾は吉祥で、また、鳥の巣模様の窠文は子孫繁栄を表すことから、戦国大名家の多くが木瓜を家紋に用いたといわれる。
特に、越前朝倉氏など北陸の大名に多いという。
信長の織田家も 出自は越前織田庄で、同じ木瓜紋の新興織田が 姉川の合戦で名門朝倉を破ったのである。

下図は どちらも 「 五瓜に唐花 」 であるが、右は、或る紋帳に 「 織田瓜 」 として載っていたもので、木瓜枠が厚く、中の唐花部分がやや小さいのが特徴だ。
しかし、いろいろな紋帳を見てみると、「 五瓜に唐花 」 は左図がほとんどで、これを 「 織田瓜 」 としており、どうも はっきり区別がないようだ。

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ちなみに、織田家とは縁もゆかりもないが、我が家の紋所も 五瓜に唐花 の 五木瓜 である。
むかし、父が私に 「 家の紋の五木瓜は、胡瓜の切り口を模ったと言われている 」 と話したことがあったが、「 帽額由来 」 を知っていたのだろうか。
さて、帽額窠文由来の快団爺家の木瓜紋が子孫繁栄に繋がりますかどうか。

 そこで一句
  伝統の 家紋に釣られた 嫁は泣き (快団爺)


※ 冒頭の家紋は、五瓜に剣唐花の 「大村瓜」

[ 追記 ]
先月19日、横浜在住の友人で漢字の大家 松井氏に、上記の 「 木瓜紋の帽額由来 」 をメールしていたところ、3月1日付読売夕刊(関東版)コラム<言の花>に辻元佳史氏が 『 織田家の 「 木瓜 紋 」 ボケにあらず 』 と、偶然にも同じような 「 木瓜紋の帽額由来 」 を書いていると知らせてくれた。

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この記事へのコメント

大村家の家紋について
2007年03月27日 14:54
我が家の家紋は大村家紋外側を囲むような円で囲んだ紋です。生前父から我が家の祖先は長崎県の大村であったと聞かされています。3~4代前まで大村で生活し広大な土地を所有していたそうです。事業に失敗しその広大な土地も手放し一家も離散したとのこと。もともとルーツは多良岳の麓からだそうです。父の調査でその付近は集落があった痕跡も見つけたそうです。その後大村家に仕官したようで大村の国境の警備をしていて大きな功績をあげて大村の殿様から特別に大村家代々外側から守るようにと我が家の家紋をいただいたとのこと。その後港での役人もしていたようです。名前を「津々見」となのっていたそうです。その後に事業に失敗した祖先は系図と名も売ってしまったと聞いています。以前よりわが家紋のルーツを調べてきましたが我が家の家紋は見つかりませんでした。ご存知でしたらお知らせください。
追伸
2007年03月27日 16:03
津々見家を調べて見ました。
あったんです。津々見家が・・・しかも島津家に関係があるのですね。大友宗麟の時代確か1576年は大友氏と島津と龍造寺家とその他の勢力が分断していた時代。1587年には島津家がほとんど制圧されたとのこと。何かの秘密があるような・・・ちなみに僕の兄は「純」の一文字が入っています。何か怖いですね。
sen
2009年07月20日 17:31
これは正しく、亡父が常々話していた我が家の家紋です。現在の山梨県山梨市倉科の在でした。五代前の先祖、「大村要兵衛忠純」おおむらようべいただずみ、
が寄進し、現在、住職無き寺「龍泉寺」は現存しています。戦で直系を失い、市川の加茂川代官所次男坊を婿として迎え入れた、と聞いています。武田信玄に最後まで仕え、今は在りませんが、中牧城で徳川勢と戦い、討ち死したと聞いています。倉科の寺の墓地には大村一統の墓が沢山あり、その墓々に刻まれた家紋は正しく、「いつつもっこう剣唐花」(父はこう言っていました)です。戦国時代の武将の家系ですから、切ったり、切られたりの連続だったでしょう。家督を継ぐ者も直系ばかりとはいかなかった様です。由緒書き(古文で、私には読めませんが)も所持しています。先祖は、遠く九州から来たのではないか?、と亡父が洩らして居たのを覚えています。
快団爺
2009年07月22日 12:56
大村氏に縁のある戦国武将が、武田信玄に仕えていたということ、五瓜に剣唐花の紋が刻まれた大村一統の墓が倉科にあるということ、はじめて知りました。
その子孫のSENさんの貴重なコメント、興味深く拝見しました。
折をみて山梨の倉科に行ってみたいと思っています。
SENさんも是非大村を訪れていただき、国の史跡にも指定されている本経寺の大村家歴代当主の巨大な墓石群を見ていただきたいものです。
ただ、純忠の墓石は、十字架が刻まれていたため江戸時代に取り壊されたらしく、残念ながら、現存していません。

大村市役所文化財担当の方と話をされたら、倉科大村家のルーツが分かるかも知れませんね。
快団爺
2009年07月22日 14:09
津々見家の家紋のコメント、興味深く拝見しました。
織田紋の周りを環で囲んだ紋(丸に五木瓜)は よく見かけます。
五瓜に剣唐花を環で囲んだ紋は、初めて聞きますし、見たことがありませんでした。
国境警備に功があったとして賜った紋所だということですが、なるほどと感じ入りました。

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